はじめに

 華甲、いわゆる還暦から早いもので10年、ついに古稀を迎えたと思っていたが、それももう2年前となり、今年6回目の干支が廻ってきた。
 「誰がそんな年に?」と自問したところであるが、60歳からの10年は本当に短かったように思う。父母達の時代と違い、今でも壮年と称したいのである。そんな時、誰が考えたか分からないが、便利な計算式がある。年齢に「0.7」を掛けると良いと言う。70×0.7=49、つまり49歳である。自分の現在の体力を考え、それも理窟かなとも思っていたが、先日、所属する中部地方の経済同友会のセミナーで福井大学の松本建一先生のお話を聴き、そうでないことに気が付いた。現在では大学卒の22歳が27歳、且つての定年55歳が67歳と伺った。何のことはない、ゴム紐が間延びしたのと同じことなのである。
 同期の99パーセントが第一、第二の人生を卒業した。残り1パーセントの一人として商売をやっている。引退したいが事情が許さない。もうちょっとだけ頑張らなければならない。今、大切にしなければならないのは、唯一健康である。30歳台で痛風の発作があり、この病と上手に付き合ってなんとか60歳まで来たが、ついに糖尿病の疑い有りとなった。その時正直なところ、一瞬目の前が真っ暗になった。これで唯一の楽しみの酒も終わりである。専門医に相談せよと言われたが、面倒くさいので酒を控えることと、食事を減らして体重を落とすことにした。朝は味噌汁1杯、昼はトースト1枚、夜はフリーだがしばらく我慢して禁酒を実行した。我慢することは本当に辛かった。40日目で全て正常に近い数値を得た。ある程度の晩酌も許され、甘い言葉に乗って同じことを繰り返しかねない。宴席では蒸溜酒を若干いただくほか、禁酒を続けること、体重は9キロほど減り、更に約3ヵ月後、トータルで15キロ減った。衣服を詰めるのは一騒動だった。
 考えてみれば、痩せるまで1升瓶4、5本を腰にぶら下げていたのである。そこで体重コントロールを続け、糖尿病の薬のお世話になるようなことは一生避けたいと思っていたが、やはりこの10年、酒のせいか時間の経過とともに少しずつ体重は増えたが、行きつけの医者の所にいる看護士さんからは「許容体重を越えることはないですね」とほめられる。しかし、最近は気のゆるみのせいか少々リバウンド気味である。
 12年前、還暦の時に60歳までの想い出を「華甲に想う」にまとめたのは、晩酌をせず長い夜をすごさねばならない辛さを紛らわすために、時間つぶしのように文章を書き始めたことに端を発する。そして、古稀を迎え、その後の10年を書こうと机に向かうが筆が全く進まない。10年前は記憶だけで書けたが、時系列が定かでない。その上、人の名が思い浮かばない。そんなことから且つて書いたもの、アルバムなどをめくる。過去の莫大な資料をめくっているうちに見つからず、本当に面倒くさくなってしまう。そんなことから、古稀までの10年間の記録をまとめようとしたが不可能に近い。その時々の簡単な記録、そして考え方や判断など、その時の精一杯のことが文字として残っている。改めて文章書きをせずにそれを一括りにして最近の考え方などを加え、文字通り「手抜き」だが、社業や私自身については「私のふたこと、みこと」、技術士会での活動を「衣錦尚絅(いきんしょうけい)」にそれぞれの本にまとめてみた。
 世間では「ブログ」なるものがあると聞く。日本人の一日のブログの投稿(アップロード)は世界一の数を誇るそうだ。「若者もすなるブログといふものを、老いてもしてみむとてするなり」という気持ちで、今までに書いてきたことなど、改めて整理し掲載していきたいと思う。

今までにまとめた書籍
60歳からまとめた本の数々

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青を旅する 木村直広 日本画展

館長の独り言

吾唯知足〜われただたるをしる〜