村上での幼少期 1

村上での幼少期 1

 「知足」について語るために、中国との交流の始まりを数日にわたり紹介した。中国の話はまだ長く続くので、今日は少し気分を変えて私の生い立ちについて。

1歳頃

 私がこの世にいるということを記憶している最初は、地方官吏の父が赴任していた旧村上町である。

 新潟県岩船郡村上町庄内町のある、出征して留守になっていた開業医宅の広い台所の板の間で、母の膝の上でのことである。恐らく、昭和14年のような気がする。数えて3歳ぐらいではないかと思う。

 私は父が赴任していた新潟県北蒲原郡新発田町(しばたまち)竹町で生まれ、その後の転勤で村上へ。8つ上の姉と、6つ上の兄も転校を余儀なくされた。兄たちの学校は落ち着いた生垣の旧家が連なる町並みの中にあって武家の学校といわれた本町小学校だ。村上には当時、武家と町人の学校が分かれており、木柵を挟んで、用水路が走り、その上流は町人の町学校、下流が武家の本町学校だった。人口比率からいって、町学校の方が当然のことながら生徒も多く、境界の木柵を挟んでよく喧嘩をしていた。

 私の記憶違いでなければ、村上に移った最初の家は通称、杉原の古い武家屋敷であった。引っ越しの際、押し入れの壁のねずみ穴を大量の栗のイガでふさいであったのが崩れ落ちたら、皆が「出た!」といって逃げたとか、月夜なのに雨の音が聞こえたとか、その他さまざまなお化け伝説が耳に入った。数週後のある日、役所から戻った父の突然の指令で、町人の町、庄内町へ引っ越したのである。その家はもう、今は見ることはできない。

 移った家の学校区は町人と武士の境界からわずか数メートル町人側に入っていた。町医者の家らしく、大きくゆとりがあり、脇には用水が流れ、台所の土間には、井戸側を施した手押しポンプの井戸があり、今考えれば恐らく一段高い旧三面川(みおもてがわ)の河原の砂利まで掘って、地下水を汲んでいたものと考えられる。ときどき大きな青大将がわが物顔で用水を横断していた。裏庭も結構広く栗の巨木も数本あり、実りの秋を待ち遠しくしてくれたものだ。

 当時、体が弱く、両親が他の兄弟たちより大切にしてくれたため、さらに一層ひ弱になっていたのではないかとも考えられる。それでも昭和18年、独り立ちさせようと村上には一つしかない村上幼稚園に1年保育で入園することになる。

 家からそれほど遠くはないが、何かと理由をつけて休むことが多く、今考えれば出席率からいって、到底卒園できるものではないように思う。それでも、紀元節、天長節、明治節など四大節の式典の日だけは決して休まなかった。ただ、園が園児にくれる一個の果物が欲しかっただけである。梨やりんごを白いハンカチで包み、持ち帰って母や兄姉に見せるのが私にとって最も楽しいことだった。

 私は、生まれてからしばらくして脱腸となり、一部の友だちによくからかわれ、子供ながらに一種の劣等感を持っていた。

 東京に住む一つ年下の従弟が両親と村上へやってきた時、従弟が「出ベソ」であることが分かり、父が遠来の客として連れていった瀬波の温泉大観荘でお湯に浸かりながら、お互いに指をさし、大笑いしたことを思い出す。旅館の窓の下に野良犬がいて、食事で余った肉片を与えたりして遊んでいたが、帰る時、玄関からタクシーに乗る数メートルの間に、この犬が待ち受けていて吠えられ、2人で恐怖のあまり泣き出した。幼稚園への入園を翌年に控え、年齢的にちょうどよいだろうと両親が判断し、脱腸の手術を受けることになる。村上にも外科医はいたが、私のことを案じ、少しでも都会でと新発田の松林病院(後に新潟県立新発田病院へ吸収)で手術した。診察のため、母に連れられて行った新発田からの帰り、わずかの間だが二等車に乗せてもらった。紺色のビロードの席と、木箱(小さな折詰)入りのくせのない真っ白なアイスクリームの味が今でも忘れられない。

 手術のことも何となく覚えている。褐色のリノリウム床、石灰酸のにおい、麻酔のためか、それほど痛みを感じなかったこと、そして手術の後の痛みなど。数日間病室で泊り、抜糸の直後に退院の許可が下り、病院を去る時、私を肩車に乗せて喜んでくれた父の姿を今も思い出す。村上駅で降り、家の近所の日ごろ付き合っている商店の人々に私の手術後の元気な姿を見せながら、肩車に乗せて歩いていた。

 今、考えても一、二の友人は思い出すが、ほとんどの人は記憶がない。平成7年新潟県の議会事務局長を最後に退職した山田善幸さん(現新潟商工会議所専務理事)が覚えていてくれ、私と同時に県庁に採用された時、声をかけてくれた。生真面目な山田さんは県庁時代、そして退職後も適切なアドバイスをしてくれた。私はなんとか親の七光りで幼稚園を除籍にはならず卒園した。住まいが町学校の校区だったので、兄姉とは異なりそこに入学することになった。このとき既に、姉は村上高等女学校の3年、兄は村上中学校の1年となって、共に上級学校へ進学していた。

写真 1歳になった頃。ようやく一人立ちができるようになった。

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