先人の思い出 ~ 佐野藤三郎さん 1

先人の思い出 ~ 佐野藤三郎さん 1

 最初から中国に自ら進んで熱心に出掛けたのではない。中国と私の縁を強く結んで下さったのは、佐野藤三郎さんであった。佐野さんは、私の人生を大きく変えた人のひとりと言っても過言ではない。
 今日は佐野さんの思い出の一部をご紹介する。

 1979年、第一次中国技術ミッションに誘われ、訪中したのは、中国文化大革命(1966年から10年続く)が終わりを告げてから、間もない頃であった。私が社団法人日本技術士会に入会して6年ほど経った時のことである。

 文化大革命後の新しく再出発した社会主義中国の概要を駆け足でながめた。その同じ年、新潟県日中友好協会長の佐野藤三郎さん、理事長の奥村俊二さんから中国の黒龍江省での農業基本建設技術協力調査に誘われた。

 日中国交が正常化したといっても、まだまだ未知の部分が多く、今なら笑い話で済むが、私の父など共産主義国へ行って感化されて帰国するのではないかと心配してあまり良い顔はしなかった。それも当時としてはやむを得ない状況であった。

 この頃、中国への窓口は、佐野さんがほとんど一手に引き受けておられた。というよりも中国に対して、高崎・劉ルート(いわゆるL・T簡易)のほか佐野さん以外にコネがなかった。佐野さんは決して儲け仕事ではなく、ただただ日中両国の友好が続くことを願ってのことであった。特に最初の頃は大手商社、一般の会社、個人を問わず中国との口利きをすべて佐野さんにお願いしたにも関わらず、ルートが出来ればあとは佐野さんに対して知らん顔をするというケースも多くあったようだ。

 奥村さんが私を誘った理由は、私が地質とダムの専門家であったからである。最初、奥村さんにはある大手会社の技術者に意中の人がいたようだが、その人が勤務する会社がゴーサインを出さないという事情があり、その挙げ句、私に白羽の矢が立ったようだ。

 参加するそのミッションの団長は佐野さんだった。視察旅行ではなく、海外業務は私にとって初めてで、特に共産主義国の中国であるということで、最初はとても緊張した。佐野さんとは初対面であったが気さくで、人に対し威張らない。そのとき偉い人ともたくさんお会いしていたが、佐野さんは相手の名刺の肩書きで動く人ではないとお見受けした。佐野さんと帰国途中の北京で中国対外友好協会の主任 孫平華さんにお会いした時もそうであった。

 ミッションは佐野さんが中心となって、1976年、20人ほどでかつての満州北端の三江平原を訪れた。この三江平原農業基本建設技術協力団に技術専門家として加わったのが佐野さんとの出会いであり、私にとっての国際技術交流の始まりである。その後、このプロジェクトは並々ならぬ努力の甲斐あって、2年後にODAつまり JICAベースになった。F・S作り(事前調査に行う妥当性)のため最初の数年間は私も1回3ヶ月以上の滞在を数回にわたり経験した。

 最初の頃の佐野ミッションは、準国賓待遇である。どこへ行ってもSPがつく。中国側の農業の現状の概況説明が黒龍江省佳木斯市(ジャムス市)の招待所「佳木斯賓館」で約一週間続いたが、団長として聞かなくともいいような細かな技術的な問題まで熱心に耳を傾けておられた。佐野さんはその後、日本国内に予定があり、ひと足先に帰国されることになった。私も帰国後、10月中旬から南米行きが決まっていたので、愛媛大学で地理の講義が待っている梅津正倫さん(現、名古屋大学教授)と、佐野さんに同行して帰国した。この時、佳木斯から哈爾濱(ハルビン)、哈爾濱から北京へと長い列車の旅が続いた。もちろん、佐野さんのレベルに相当する中国側の随員と通訳はいた。

 この列車の長旅では、さすがに中国側との長時間の通訳を入れた会話は疲れる。自然と日本側、中国側ともそれぞれで話す時間が長くなる。地理学の資料作りで車窓からの撮影に取り組んでいる梅津さんは別で、佐野さんは私にご自分の今までの経験などを話してくださった。私の想像では、相当な苦難の道をたどって、現在があるものと想像していたが、決してそういう話はなさらない。これからの日本のあり方、世界の中の日本、とりわけその中で日中関係の重要性を説いておられた。地球の裏側の国々といくら仲良くしてもいざという時は頼りにならないともおっしゃった。当時は環本海とはいわず、新日本海時代といっていた。さらに私に対しては、まだ小規模の会社なのにそれを人に任せて参加してもらったという旨の謝意を下さった。さらに将来予想であるが、「あんたを見ていて分るんだ。貴方の時代が来る。それに見合うだけの人間に成長しなくてはならない。ある程度になるとよくとんでもないことを目指すものがいるが、そんなことでは良くないよ」と。私は「そんな意思を持ったことはないが・・・」と言うと、「会社はやがて大きくなるよ。その時、慎重さが大切であることを言いたいんだよ。他人の話に動じてはいけない」と説かれた。これらは佐野さんの買いかぶりだと思うが、さらに私に対しての人生のあり方など親切なアドバイスをして下さったのが30年以上経過した今でも脳裏に焼きついている。

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