技術交流について考える。

技術交流について考える。

 昨日の「中国との交流のはじまり」では、少し本題から逸れたままとなったが、本題の技術交流の話に戻ろう。
 交流課題の協議、技術交流では相手の要望、意思の確認を充分に行ってさえも、期待感を与えすぎることが多いので、不都合なことなどははっきり断り、あいまいな妥協などはしない。そして、日本側も皆が国際技術交流の意義を充分理解した上で行動する。日本の常識は必ずしも中国の常識ではないからである。
 交流の当初は、中国側は国営企業の工業分野での新製品などの技術開発を求めていたが、数年前よりそれは個々の企業が行うことである事、莫大な時間と経費を使った研究開発ノウハウを得るには費用を必要とする事がようやく解り、現在は専ら社会基盤整備に関する分野に交流が移っている。日本では普通、誰でも当たり前と思っていることが、中国の人達に理解させるのには相当苦労をすることがある。中国の技術交流の参加者は省、市県、国営企業、民間企業の多岐に渡る。その人数の多くはごく限られた官庁・国営企業に偏重しているが、携わった中堅技術者が取得した技術を取り敢えずは周囲に伝えればよい。それがまず、技術交流だと考えて取り組むのがよい。
 毎年、次年度の交流課題を協議し、相互に訪中、訪日としている。このほか、自費訪日、訪中もあり、これはその都度お互い承認する。この場合の訪日は予算を組んでいないため、その経費の対応に苦慮したこともある。また、交流課題にない技術専門家の訪中の依頼もある。要請に応じられる技術者、経験技能者がいない場合の対応や他地域からの応援体制なども問題である。国際旅費、滞在費は先方負担の専門家派遣を除き、互恵平等の原則での国際旅費を負担し、国内経費は相手方の負担としている。また、要請される技術者の訪中が可能かどうかも課題である。技術者の中国への派遣は第一線の企業内技術者を要請されることが多く、その場合雇主の理解が必要であるし、研修の受入れでも問題が生じることがある。
 中国ではこのような経費は、すべて予算化された公費を用いているようだ。我が国の一部で実施されているように行政と協力した交流が必要であることは言うまでもない。私の経験では、行政は地味に活動を積み上げればそれを認めるし、活動に対して好意的に対応してくれる。従って行政に頼り過ぎず、むしろ専門分野で行政をリードするような動きが必要であろう。そして、これからは、中国のみならず、東北アジア諸国の技術者が手を取り合って共通テーマに取り組むべきことが理想であると思う。
 かつて、我が国の日本海沿岸の自治体は経済面で「競って対外交流へ」抜けがけを続けてきた。それなりに成果を説く人もいるが、実際は何の意味があったのだろうか。うまく相手に利用されたことも多分にあったと思う。こんなことから互いに情報交換しながら、地域の特徴を生かした役割分担を行うとともに、「多極分担」し、決して無意味な分散にならにようにしなければならない。そして連携への合意を行う必要がある。
 それに対して技術協力はリスクが少なくなりやすい。まず人的交流、技術交流、そして経済交流へと少しずつ、時を重ね、深めていく過程をとることが必要である。地域の交流は民間だけでなく自治体と一体で無ければ効果が少なく持続性に乏しい。さらに自治体や地域が行う協力は国と国の大規模なプロジェクトやODAのはざまを埋めるきめ細かなものが大切である。これを活発にしたら技術協力の効果が大きくなると思われる。そこで、さらなる政府の積極作を期待したいところである。技術交流も姉妹都市の連携の延長で実施するとやりやすい。同じ技術系等の団体との交流に取り組むと、それがやがて他へ広がるからである。留学生交換・受入れ・企業間の提携・ノウハウの提供、合弁等も大切である。
 国際間の技術協力などでも「国際化」について、理念の詰めが必要である。「国際化を進める理由」を深く考えなければ、自治体は当然のことながら民間団体でも行き詰まりを生じるし、実行の段階で批判を生じかねない。最低限、国際化「ミニマム」が必要だと思う。つまり、それは誰もが「国際化に関心を持つこと」が最低条件である。
 第一に、アイデンティティを掘り下げ、いわゆる「地元学」の構築をすること。
 第二は、内なる国際化を求めるため異質な文化と共に生きる知恵を持つこと。
 第三は、視野を広く世界に向けること。これらの認識を持って決め細やかな技術交流を続けていく必要が大切であると思う。人類存亡に関わる地球環境などの大きな問題が目の前にある今日、さらなる交流への道が極められなければならない。

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