吾唯知足

吾唯知足

「望」

2011年6月1日

 東日本大震災において被災しなかった新潟に、私の本業である建設コンサルタントの本社はあります。仙台の事務所も幸いに大きな被害がありませんでした。  「がんばろう」「心をひとつに」「絆」など、マスコミなどでよく見聞きする言…

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東日本大震災に想う

2011年5月11日

 東日本大震災から2ヶ月を経ましたが、日本国中で被災地を思い、未だ心安まらぬ日々が続いています。  3月11日金曜日、14時46分、マグニチュード9.0という大きな地震が発生しました。その後、15時11分には誰も想像だに…

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感激!渋沢栄一賞の受賞

2011年2月8日

 この度、渋沢栄一賞受賞の栄に預かることができました。  これも偏に、日頃の皆様方からの温かいご指導とご厚情の賜と心から感謝申し上げます。  さて、図らずも頂いた内定通知は正に寝耳に水でした。その時、会員として参加させて…

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選挙に行こう

2009年8月23日

 8月30日は第45回衆議院議員総選挙の投票日。  20歳以上の日本国民であれば、一部の事情を除いては誰にでも与えられている選挙権であるが、投票率の低下がいつも問題となっている。前回2005年に行われた選挙では、およそ6…

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会社の伝統行事

2009年7月30日

 会社を設立したのは1973年。今年で創業36年になる。もう36年とも思うが、まだ、たった36年とも思う。  会社には36年間で積み重ねてきた実績はあるが、創業百何十年という会社のような「伝統」と呼べるものはほとんどない…

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村上での幼少期 2

2009年7月28日

 家の向かいには「中安」という屋号の薬局があり、私と同年代の娘さんが何人かおり、名は忘れたが確か一つ下のおとなしい女の子とよく遊んでいた。銀色のバスやタヌキの絵を描くのが好きで、普段は大切にしている金銀のクレヨンを使って…

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村上での幼少期 1

2009年7月27日

 「知足」について語るために、中国との交流の始まりを数日にわたり紹介した。中国の話はまだ長く続くので、今日は少し気分を変えて私の生い立ちについて。  私がこの世にいるということを記憶している最初は、地方官吏の父が赴任して…

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最初の訪中 2

2009年7月26日

 朝鮮戦争の頃からよく「人海戦術」という言葉が使われていたが、文字通り、人を海のごとく使用するのである。この人民公社では用水路の改修を人海戦術で行っていた。老若男女皆、スコップをもって。但し土工量の出来高は極めて悪い。約…

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最初の訪中 1

2009年7月25日

 中国を初めて訪れたのは1979年の1月である。文化大革命がようやく終焉を告げ、若干ではあったが解放政策のニオイを感じるころでもあった。とはいっても、通常の訪中ルートは香港経由で、香港・中国国境は極めて厳しく、仮設の木橋…

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先人の思い出 ~ 佐野藤三郎さん 2

2009年7月24日

 1982年7月だったと思う。第三次JICA調査団に参加のため、私一人が新潟駅から当時の特急「とき号」で出発した。家内が駅まで見送りに来た。ふとホームを見ると、亀田郷土地改良区のユニフォームつまり作業服姿の佐野さんが一人…

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現在の展覧会

今後の展覧会

今後のイベント

次回の展示

2017年 歌川広重 保永堂版 東海道五拾三次展

予備展示室

ボストン美術館所蔵版木による墨摺絵展

館長の独り言

吾唯知足〜われただたるをしる〜